『本の神話学-増補新版 (中公文庫 や 8-3)』
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あらゆる書物は見えない連関(ネットワーク)で結ばれている。その解読の驚きと愉しみ、秘術と実践。
自分だけの「知の見取り図」は、いつの時代も蔵書から生まれる。20世紀前半、人文知再編の震源地となったアビ・ワールブルクの研究所およびワイマール文化を発端に、本書自体が、文化人類学的思考を通じてオルタナティヴな精神史・思想史を発見するための架空ライブラリーとして展開する、著者の代表作。
美術、演劇、音楽、文学、宗教学、人類学……さまざまな文化/学問領域の隠れたネットワークを、おびただしい過去の書物をたぐりながら曼荼羅のように描き出す、みずみずしい驚きに満ちた知的アクロバット。
1970~80年代のニューアカデミズム・ブームを牽引し、後世に巨大なインパクトを与えた伝説の一冊にして、普遍的な知の技術を示し/実践した名著を凱旋復刊。
まさに「文庫の中の文庫」といえるコンパクトにして圧倒的な情報量が詰まったこの神話的迷宮は、21世紀の今も来る者すべてに開かれている。
巻末に、「図書館」に関する講演録・エッセイを新たに増補。
〈解説〉山本貴光
【目次】
第一章 二十世紀後半の知的起源
第二章 ユダヤ人の知的熱情
第三章 モーツァルトと「第三世界」
第四章 「社会科学」としての芸能
第五章 もう一つのルネサンス
補 遺 物語作者たち
[新増補]
歴史と記憶(1995)
図書館との出遭い(2000)
解説 山本貴光
"だが、多くの場合、紹介屋の文章は「新しさ」を装えば装うほど、「読み捨て」られる速度は増し、その多くは十年の歳月にすら耐えることはできないとっても、だれにも失礼にならないであろう"
解説「蔵書という思考法──あるいは、なぜ本なのか」山本貴光
本は読まれ、その人の脳内物質と化してはじめて〈知〉となる 高山宏
山口昌男は、博識タイプの知識人
分類された箱のどれかに仕分けるのでは片づけられない人
ピーター・バーグによれば、学術の専門家が合われるのは十九世紀以降
知識の爆発以降→知の分業(修得すべき知識の範囲をぐっと絞る作戦)
山口のスタイルは、専門家とは別の仕方での知識とのつき合い方
山口のまなざし
歴史上のさまざまな知的活動はいかにして可能だったのか
いかなる環境がそれを可能にせしめたのか
表面的な成果物だけに注目するのではなく、知的環境や文化まで掘り下げて探究する
「根こそぎ」の移植
創造的な知的活動の条件
「本」
ある文化に花開いた知的活動を根底から理解しようと思えば「本の神話」をデコードする必要がある
ヴァールブルク文庫
哲学関係の文献を占星術や魔術や民族学に関する文献の隣に置き、美術部門を文学・宗教・哲学部門とつなげたワールブルク
書棚がそのまま、埋もれていた知のつながりを浮かび上がらせる精神史の試み
本の蒐集が、そのまま思想の営みであり行為であった
山口文庫
山口の蔵書のうちの四万点をもとに創られた
「モノとしての本を集め読むこと」
かつて蔵書のうちの一万冊をデジタル化した
物が減って、部屋のスペースは少しばかり増えた
検索機能のおかげで、探し物の苦労も(一時的に)減った
ただし良いことばかりではなかった
端末の電源を入れ、ファイルを探して表示させるにはそれなりの手間がかかる
目の前にある書棚が目に入るのとは異なる
日常的に意識せずとも目に入る書棚と、意識的に探しにいくときにだけ目にするファイルは人間存在にとって同じではない
ファイルの数が1万もあると、大きなディスプレイでもみづらい
一覧性と視認性が低い
どの本を電子化したかさえ忘れてしまう
存在しないに等しい
検索も完全とは言えない
現行のOSは、人がものを記憶しながら使うことを助ける仕組みとして設計されていない
私たちの記憶
短期記憶
長期記憶
ネットで検索すれば済む、という話は短期記憶で用が済む場合が多い
「ものを読み、思いつき、考え、書き、検討する、といった時間のかかる知的な作業においては、脳裡にどのような知識を蔵しているかが極めて重要である」
物としての本は、人間にちょうどよい道具
物として触りながら読むことで、記憶に刻まれていく
本棚に他の本と並べることで、「おのずとある思考やものの見方が浮かび上がる」
そのようにしてつくられた物理環境としての蔵書や書棚は、ときとして所有者や他の誰かに刺激を与え、次なる仕事へと向かわせる原動力にもなる。